フィリピンのサッカー事情 日本人やハーフが活躍する国内プロリーグ・国際大会

サッカーのフィリピン代表は、日本や韓国と比べるとかなり弱いですが、ここ数年で力をつけてきています。2019年には韓国相手に0-1と、惜しいところまでいきました。

ワールドカップアジア予選やアジアカップでも、数年前から少しずつ勝てるようになっています。また、国内のプロリーグは2017年に発足したばかりで、これからのフィリピンサッカーの発展が期待されます。

フィリピンのサッカーについて詳しく調べてみると、100年前のフィリピン人選手とフィリピン代表、最近のフィリピン代表、フィリピンの国内プロリーグと、どれも興味深くておもしろかったです。

今回はこれら全てを解説します。

目次

サッカーフィリピン代表

出典:PFF

サッカーのフィリピン代表は愛称をアスカルズ(Azkals)と言います。これは雑種犬という意味で、代表選手にはヨーロッパとのハーフや日本人とのハーフもいます

2020年12月に発表されたFIFAランキングは210の国と地域のうち124位。日本は27位でした。

1910年代のフィリピン代表

調べてみると、100年前のフィリピン代表は日本代表より強かったことがわかりました。フィリピン代表の1試合最多得点は1917年に行われた極東選手権競技大会での日本代表との試合で、15-2でフィリピンが勝ちました。当時の日本代表は東京高等師範学校でしたが、これは日本代表の1試合最多失点でもあります。

その後、1921、1923、1925年の試合でも全てフィリピンが勝っています。日本がフィリピンに初勝利したのは1927年で、これが日本にとっての国際大会初勝利です。以降は日本の8勝1敗で、1974年以降の対戦はありません。

1967年には日本が15-0でフィリピンに勝ちました。これは日本代表の1試合最多得点であり、フィリピン代表の1試合最多失点です。日本代表歴代最多得点の釜本邦茂が6得点しています。

  • フィリピン最多得点 15点 1917年 対日本
  • フィリピン最多失点 15点 1967年 対日本
  • 日本最多得点 15点 1967年 対フィリピン
  • 日本最多失点 15点 1917年 対フィリピン
ターシャ
ターシャ

最多得点、最多失点の相手が同じで、どちらも15点というのはすごい偶然ですね

セブユキさん
セブユキさん

50年後に日本がリベンジすることとなりました

参考:日本代表 対 フィリピン代表の対戦成績と試合結果フィリピンvs日本 熱闘の記録 最多得点記録と最多失点記録

史上最高のアジア選手

当時フィリピンは宗主国がスペインからアメリカに変わったばかりで、アメリカがスポーツを奨励する中、スペイン系フィリピン人が成果を上げていました。そこで活躍したのがパウリーノ・アルカンタラです。

パウリーノ・アルカンタラは1896年にフィリピンで生まれ、バルセロナに移住します。15歳で今でも世界トップクラスのFCバルセロナの選手としてデビューし、ハットトリックを達成しました。

20歳を前にフィリピンに帰国し、フィリピン代表としてプレーします。1917年の日本との試合にも出場していました。

ニワトリ
ニワトリ

日本の学生が試合をした相手にバルセロナの選手がいたんですね

1918年にはバルセロナに復帰、1928年に引退するまでの公式戦と親善試合の通算得点は369点です。これは2014年にメッシに抜かれるまでの約90年間、バルセロナの最多得点記録でした

パウリーノ・アルカンタラは2021年、英メディアによる「史上最高のアジア選手トップ20」で2位に選ばれています。(1位は韓国のチャ・ボムグン)

日本からは、5位・本田圭佑、6位・中田英寿、9位・中村俊輔、10位・香川真司、16位・釜本邦茂、18位・三浦知良、20位・岡崎慎司の7人が選ばれていますが、フィリピンのアルカンタラが全てを抑える結果となりました。

その後フィリピンではアメリカの影響によってバスケットボールが人気になり、サッカーは弱体化していきました。

現代のフィリピン代表

サッカーのフィリピン代表はここ数年でやっと勝てるようになってきました。

ワールドカップの成績

フィリピン代表はワールドカップに出場したことはありません。1994年までは予選にも不参加でした。1998、2002、2014、2018年は予選で敗退しています。2021年3月現在、2022年のカタール大会のアジア二次予選で今のところ2勝2敗1分け、5チーム中3位です。

アジアカップの成績

1956年に始まったアジアカップには、1964年から参加していましたが2015年まで不参加か予選敗退でした。

日本がカタールに負けて準優勝した2019年、フィリピンは2000年以来5大会ぶりに参加して、初めてグループリーグまで進んでいます。(出場枠が16から24に増えたおかげもありますが。)

2019年1月7日の試合で韓国に0-1で惜敗したことがちょっとしたニュースになりました。大健闘に反響広がる…フィリピン代表主将、韓国戦黒星も「みんなが驚いていた」

サッカーに詳しい人ならわかりますが、韓国はアジアの強豪です。日本やオーストラリアなども含め、東南アジアや小国をカモにしていて、5-0で勝ってもおかしくないくらいです。

この大健闘で希望が持てましたが、その後中国とキルギスにも敗れています。

東南アジアサッカー選手権の成績

日本、韓国、オーストラリア、中東など、アジアの強豪には勝てないフィリピンですが、ASEAN11ヶ国の大会ならどうでしょうか。

ASEANサッカー連盟が主催する大会は2008年からスズキがスポンサーになり、スズキカップと名付けられています。

1996年から始まったスズキカップでは、タイやシンガポールが優勝し、ベトナム、マレーシア、インドネシア、ミャンマーがベスト4入りする中、フィリピンは2007年までの6大会でグループリーグ敗退、2008年に至っては11ヶ国中8ヶ国が予選突破できる大会で、ブルネイ、東ティモールとともに予選で敗退します。

2018年大会は11ヶ国しかないASEANの10ヶ国が予選突破できるものでした。前回大会の結果から9ヶ国は予選免除。ブルネイと東ティモールだけで予選を行うちょっとかわいそうな大会でした。

次の2010年から勝てるようになってきました。2016年こそグループリーグで敗退したものの、2010、2012、2014、2018とベスト4に入っています

フィリピンのプロサッカーリーグ

フィリピンにおけるサッカーのプロリーグは2017年に創立されたフィリピン・フットボールリーグ(PFL)です。かなり最近のことですが、ここに来るまでにも紆余曲折ありました。リーグの運営が何度も変わっています。

  • 2008 フィリピノ・プレミアリーグ(FPL)(8チーム)
  • 2009~2016 ユナイテッド・フットボールリーグ(UFL)(12チーム)
  • 2017~ フィリピン・フットボールリーグ(PFL)(7チーム)
  • 2019 フィリピン・プレミアリーグ(PPL)(4チーム)

2019年、財政難から消滅するクラブが相次いだため、PFLに代わるリーグとしてPPLが創設されました。これには5チームしか参加せず、開幕直前に1チーム離脱したため4チームが1試合だけしてリーグは消滅しました

その後PFLが2019年も開催されることとなり、7チームが参加しました。シーズン終了後にはカタール航空と2022年までのパートナー契約を結んでいます。

2020年はコロナ禍の影響で、6チームが1試合ずつ、2週間の短期決戦になりました。

リーグチーム数優勝
2014UFL15グローバルFC
2015UFL15セレス・ネグロスFC
2016UFL12グローバルFC
2017PFL8セレス・ネグロスFC
2018PFL6セレス・ネグロスFC
2019PFL7セレス・ネグロスFC
2020PFL6ユナイテッド・シティFC

フィリピンのサッカークラブ

ユナイテッド・シティFC(セレス・ネグロスFC)

2012年、フィリピンのバス会社セレスライナーが創設したチームで、ホームタウンはネグロス島のバコロドです。2020年に優勝したユナイテッド・シティとそれまで3連覇中だったセレス・ネグロスFCは同じチームです

2020年7月に経営が変わり、名前も変わりました。現在はMMCスポーツアジアが経営しています。フィリピン・フットボールリーグ創立以降4年全てで優勝している強豪クラブです。

AFCチャンピオンズリーグ2020では、予選1回戦、2回戦を勝ち上がり、プレーオフに進出しました。2020年1月28日、FC東京と試合をして0-2で敗れています。

現所属日本人選手
  • 小田原 貴
  • 嶺岸 光

※嶺岸 光は日本国籍とフィリピン国籍を持つフィリピン代表選手です。

カヤFC・イロイロ

2017年のプロリーグ創設の際に、カヤFCからホームタウンのあるマカティの名前を冠してカヤFC・マカティと名称を変更しました。2018年にはイロイロに移転して、カヤFC・イロイロになります

1996年創設の歴史あるクラブで、2015年、2018年のカップ戦で優勝しています。

現所属日本人選手
  • 堀越 大蔵
  • 上里 琢文
  • 大村 真也

グローバル・マカティFC

2000年、Laos FC名義で活動を始め、2009年にグローバルFCに、2017年にセブに移転してグローバル・セブFCに、2019年に本拠地をマカティに移転しました。

しかし、2019人にはリーグ戦を途中で棄権して最下位に。2020年にクラブの名前や経営問題で揉め、フィリピンサッカー連盟からライセンスを剥奪されています

2012、2014、2016年にはリーグ戦で優勝しています。2015年頃まで、6人の日本人選手が所属していました。

その他

2020年のリーグ戦に参加したクラブは、ユナイテッドFC、カヤFC・イロイロ、メンディオラFC、マハルリカFC、スタリオン・ラグナFC、U-23フィリピン代表の6チームでした。

2017年のリーグ発足当時のダバオ・アギラスFC、グローバル・マカティFC、イロコス・ユナイテッドFC、JPVマリキナFC、FCメラルコ・マニラは経営難で既にありません。

フィリピンのカップ戦

2018年、フィリピンおよびFCバルセロナのレジェンドの名前を冠したコパ・パウリーノ・アルカンタラという名前のカップ戦が開始されました。フィリピン・フットボールリーグの所属クラブが参加するため、リーグ戦とほとんど変わりません。

2018年はカヤFCイロイロが、2019年はセレス・ネグロスFCが優勝しました。

今後のフィリピンサッカーの展望

というわけで、フィリピンのサッカーの発展に必要なものはお金です。せっかくプロリーグができてサッカー選手の育成に力を入れようにも、1年でクラブがなくなったのではサッカーをプレーする以前の問題です。

3連覇中の強豪クラブでさえ経営難に陥り、クラブは残ったものの経営権を売却してしまいました。

日本のサッカーが強くなり、ワールドカップでもベスト16まで残れるようになったのは1993年にJリーグができてからです。今ではJ1、J2、J3合わせて57のチームがあり、1993年の10チームからほぼ毎年増えています。また、アマチュアのJFLや地域リーグもあります。

東南アジア諸国もサッカー選手の育成に力を入れ始め、カンボジアは2018年に本田圭佑を、タイは2019年に西野朗を、シンガポールは2019年に吉田達磨を監督として招聘しています。

それですぐに強くなることはないのですが、おかげで日本でもニュースになり、それまでほとんど誰も興味がなかった国のサッカーを知るようになりました。

日本人監督のアジア3か国は明暗分かれる…西野朗&吉田達磨は初白星、本田圭佑は敗れる

フィリピンのサッカーも、韓国相手に善戦したり、クラブチームがFC東京と試合をする機会があったりと、もう少しのところまで来ています。

国内リーグが盛り上がれば日本のように強くなっていくと思うので、これからのフィリピンのサッカーに期待しています。

まとめ

今までのサッカーのフィリピン代表はアジアでも弱い方で、ワールドカップなんかいつになっても出られないと思っていました。最近になってやっと国内にプロリーグができ、日本のサッカーのように発展を期待したいところですが、経営難になるクラブが多く、かなり不安です。

オリンピックもそうですがアスリートの育成には資金が必要で、フィリピン人が世界で戦うにはもう少し時間がかかるかもしれません。

参考:サッカー日本代表-Wikipediaサッカーフィリピン代表-Wikipediaフィリピン・フットボールリーグ公式サイトフィリピン・フットボールリーグ-Wikipedia

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