フィリピンの第7代大統領ラモン・マグサイサイとアジアのノーベル賞マグサイサイ賞

ラモン・マグサイサイ(Ramon Magsaysay)は、フィリピンの第7代大統領で、アジアのノーベル賞とも言われるマグサイサイ賞の名前の由来にもなっています。

僕はマグサイサイ賞という名前だけは聞いたことがありました。フィリピンに詳しい人なら知っているかもしれませんね。

今回は、ラモン・マグサイサイ大統領とマグサイサイ賞について詳しく調べてみました。

目次

ラモン・マグサイサイ大統領

ラモン・マグサイサイは1907年8月31日生まれ、1957年3月17日に亡くなりました。在職期間は1953年12月30日から1957年3月17日、ここからわかる通り在職中に亡くなります

第二次世界大戦中には、アメリカの支援を受けたゲリラ部隊に参加していました。その後1951年には国防長官として軍を指揮し、共産主義の反政府組織であるフクバラハップ(フク団)を壊滅させました。

フクバラハップは第二次世界大戦中の抗日組織で、戦後は共産主義の組織です。当時は冷戦下であったため、マグサイサイの反共主義はアメリカに評価され、米国大使らに支持されて大統領選に出馬します。そして現職の第6代エルピディオ・キリノ大統領に勝利しました。

マグサイサイは、大統領としては初めてフィリピンの民族衣装バロンタガログを着用して就任式に臨み、公式の席でも着用しました。また、フィリピンの大統領官邸マラカニアン宮殿を、誰でも自由に中に入れるようにしました。

マラカニアン宮殿に靴を3,000足コレクションしていたイメルダ・マルコスとは大違いですね。

マグサイサイの指導力や清廉潔白な姿勢は高く評価され、再選確実と思われました。

政府の汚職が多かったこの時代に清廉潔白な大統領は貴重ですね。この後も汚職で逮捕される大統領が出てきたり、国内で革命が起きたりします。

ところが、1957年3月17日、セブからマニラへ帰る際に大統領専用機が墜落、49歳で不慮の事故死を遂げました。同年4月、アメリカの財団の出資によって、彼を記念したマグサイサイ賞が創設されます。

マグサイサイ賞とは

マグサイサイ賞はアジアのノーベル賞とも呼ばれ、毎年マグサイサイ大統領の誕生日である8月31日に、アジアで功績を果たした個人や団体に対して贈られます。

1958年、マグサイサイの父ら7名のフィリピン人が、非営利組織ラモン・マグサイサイ賞財団を発足させ最初の授賞式が行われました。当初は政府、社会奉仕、社会指導、報道・文学・創造的情報伝達、平和・国際理解の5部門があり、2000年に新興指導者部門が創設されました。2009年以降は部門を設けていません。

1965年には、あの黒澤明監督が文学部門で受賞しています。黒澤明監督を調べると、アカデミー賞やカンヌ、ヴェネツィア、ベルリン国際映画祭での受賞、文化勲章、国民栄誉賞と錚々たる受賞歴のひとつにマグサイサイ賞もありました。

他にも多くの日本人が、新興指導者以外の全ての部門で受賞しています。特に平松守彦元大分県知事が一村一品運動で受賞しているそうですが、僕は大学生の時にこれを勉強したことがあるので懐かしいです。

国連難民高等弁務官の緒方貞子さん、婦人運動の市川房枝さんの名前もありました。

また、青年海外協力隊や東南アジア諸国連合が団体として受賞しています。

マザー・テレサは1979年に、ダライ・ラマ14世は1989年にノーベル平和賞を受賞していますが、それより早くそれぞれ1962年と1959年にはマグサイサイ賞を受賞していました。

まとめ

マグサイサイ賞という名前は聞いたことがあるかもしれませんが、ぜひマグサイサイ大統領も覚えましょう。

僕もなんとなくしか知らなかったので、勉強できて良かったです。フィリピンの大統領は現在までで16人しかいないので、全員覚えたいですね。

参考:Wikipedia

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