太平洋戦争の激戦地 台風の被災地 レイテ島

フィリピンのレイテ島はご存知ですか?太平洋戦争の歴史を勉強すれば、名前は聞いたことがあると思います。

地理的にはセブ島の東側で、港があるオルモックまではセブ市内からフェリーで2時間くらいです。

オルモックはパイナップルが有名らしく、マーケットにたくさん並んでいました。お土産のキーホルダーやTシャツもパイナップルのデザインが多かったです。

レイテ島最大の都市はレイテ州の州都でもあるタクロバンです。元大統領夫人のイメルダ・マルコス夫人の出身地でもあるそうです。

2013年には台風による大きな災害もありました。アジア名はハイエンですが、フィリピン名はヨランダと言い、フィリピン人なら誰でも知っています。

僕は歴史に興味があり、勉強して実際に自分の目で見ておこうと思い、レイテ島に行ってきました。今回はレイテ島についてのご紹介です。

目次

レイテ沖海戦、レイテ島の戦い

レイテ沖海戦は史上最大の海戦とも呼ばれます。結果的に日本は多くの艦艇を失い、レイテ島に上陸したマッカーサーとアメリカ軍がフィリピン奪回を進めることになりました。

上陸を記念したモニュメントが、タクロバンの近くにあるパロ海岸のマッカーサー上陸記念公園にあります。

ちなみにマッカーサーはレイテ島に帰還する前にフィリピンのコレヒドールから脱出していたのですが、その時の「I shall return」はとても有名で、歴史の授業でも習うのでフィリピン人はみんな知っています。

たまにフィリピン人の友達と歴史について話すのですが、戦時中の歴史については日本人より詳しいです。

レイテ島の戦いは島内を戦場としていましたが、ここでも日本軍が惨敗しています。
今では島の色々なところに日本軍の慰霊碑があるそうです。

マリア観音像

日比友好の証として建てられた観音像です。戦時中の影響から日本人は敵視されましたが、戦後日本政府はフィリピンと友好関係を築きました。

これも見てきましたが、記念碑に日本語が刻まれていてびっくりしました。

台風ヨランダ

レイテ島のタクロバンでは高潮による被害が大きかったそうです。2013年当時、僕はフィリピンについて詳しくありませんでしたが、どこかのテレビ局がタクロバンへの募金を募っていたのを覚えています。

高潮で陸まで流された船がそのままモニュメントになっているのも見てきました。

サマール島

レイテ島とサマール島はサン・ファニーコ橋で繋がっています。この橋はフィリピン最長(2.16km)で、日本からの支援で建設されたそうです。

僕もタクロバンまで行ったついでに、サマール島に上陸してきました。S字のカーブがめちゃくちゃ綺麗ですよね。

ちなみにレイテ島ではビサヤ語ですが、サマール島ではワライ語を話すそうです。タクロバンのように2つの言語の境界にある街では両方わかる人もいます。

まとめ

レイテ島はマニラやセブのイメージとは違い、歴史を考えさせられる島です。フィリピンに住んでいる日本人として、フィリピンの歴史は知っておくべきだと思います。

ただ、戦争や台風と暗いイメージはありますが、今では復興してフィリピンの普通の地方都市です。

僕は実際に現地に行ってこの目で見て良かったと思います。興味があればぜひ行ってみてください。

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