フィリピンの初代大統領エミリオ・アギナルド 植民地支配からの独立

今回は、フィリピンの初代大統領エミリオ・アギナルド(Emilio Aguinaldo)のご紹介です。

日本語ではよくアギナルド将軍と呼ばれ、独立革命で活躍した人とだけ知っていますが、どんなことをしたのか詳しく調べてみました。

目次

フィリピン初代大統領

エミリオ・アギナルドはフィリピンの初代大統領ですが、当時はスペイン、アメリカとの独立戦争の真っ只中でした。任期は以下の通りです。

  • 1897年11月2日~1897年12月27日 ビアクナバト共和国
  • 1899年1月23日~1901年3月23日 フィリピン第一共和国(マロロス共和国)

また、フィリピンの独立の流れは以下の通りです。

スペインの植民地(ビアクナバト共和国)→フィリピン第一共和国→アメリカの植民地(フィリピン自治領)→日本の占領(フィリピン第二共和国)→フィリピン第三共和国

スペイン、アメリカの植民地下、日本の占領下でもフィリピンはあったのでややこしいです。1565年のスペインによるセブ島占領から第二次世界大戦後までで、フィリピンが独立していたのはアギナルドが初代大統領であったフィリピン第一共和国の2年間だけでした。

独立革命

アギナルドは、現ルソン島カヴィテ州で、弁護士で元町長の父の元に生まれました。17歳でバランガイキャプテン、25歳で町長になります。

当時は植民地支配を受けていたスペインとの独立戦争中でした。1895年に、アンドレス・ボニファシオが結成した秘密結社カティプナンに入会しましたが、1897年、内部抗争によりボニファシオを処刑しています。

ビアクナバト共和国

1897年11月、ブラカン州に総司令部を置き、ビアクナバト共和国を樹立。自ら大統領と名乗りました。

12月14日、スペイン当局と和平協定を調印、香港に亡命します。わずか2ヶ月弱でしたが、これが当時のフィリピン(ビアクナバト共和国)の初代大統領です。

マロロス共和国(フィリピン第一共和国)

1898年、スペインとアメリカの間で米西戦争が勃発すると、アメリカはアギナルドに協力を要請しました。

1898年6月12日、フィリピンは独立を宣言しました。この日は今でもフィリピンの独立記念日になっています。

スペイン軍は8月13日に降伏しましたが、アメリカ軍はマニラを占領したままで、二重権力状態が続きます。

1899年1月23日、フィリピン共和国樹立、アギナルドは初代大統領になりました。

米比戦争

1898年12月10日、アメリカはスペインよりフィリピンの領有権を約2,000万ドルで譲渡されています。そのためアメリカのウィリアム・マッキンリー大統領はフィリピンの独立を否定、1899年2月4日、アメリカとフィリピンの間で米比戦争が始まります。

結果的にフィリピンはこの戦争に敗れ、アギナルドは1901年3月23日に米軍にとらわれ、4月1日、アメリカの支配を認めました。

アギナルドの生涯

スペインに勝利したものの、その後のアメリカの支配により、フィリピン第一共和国はわずか数年のものとなってしまいました。アメリカの支配中もフィリピン自治領として大統領選挙はありましたが、マニュエル・ケソンに敗れ、アギナルドの再選とはなりませんでした。

後に、第二次世界大戦で日本軍がフィリピンに上陸すると、アギナルドは日本に協力、フィリピン第二共和国として再独立しました。

1945年8月15日に日本が降伏すると、17日にはフィリピン第二共和国が解散し、再びアメリカに支配されることとなります。

1946年7月4日には、戦前から約束されていたアメリカからの独立を果たし、フィリピン第三共和国として独立しました。その際には、アギナルドは独立記念式典にてフィリピンの国旗を掲げました。

1964年2月6日、94歳で亡くなりました。結果的にアギナルドは、フィリピンの三度の独立に関わったことになります。

その後、1987年発行の5ペソ紙幣、現在使われている旧5ペソ硬貨に肖像が使用されています。

まとめ

フィリピンの初代大統領エミリオ・アギナルドについて詳しく調べてみました。名前や功績は何となく聞いたことがあっても、歴史を詳しく知るとやっぱりおもしろいです。

他にも、フィリピンの有名人について調べてご紹介しようと思います。

参考:Wikipedia

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