日本人にとってパッキャオの知名度ってどれくらいでしょうか。
フィリピンでは知名度ほぼ100%だと思います。パッキャオは日本人で例えるならイチローくらいですかね。
フィリピン通の皆様なら分かりますよね。今回は、パッキャオを詳しく調べてみました。幼少期、ボクサー、政治家と3つに分けてご紹介します。
パッキャオの幼少期
マニー・パッキャオは1978年12月17日生まれ、本名はエマヌエル・ダピドゥラン・パッキャオ (Emmanuel Dapidran Pacquiao)、フィリピンのブキドノン州キバウェ出身です。聞いたことがない名前ですが、ミンダナオ島の真ん中辺りにあります。
母親と2度目の結婚相手との間に産まれましたが、小学校6年生の時に両親が離婚し、母親が家計を支えるようになりました。
貧困のため、中等学校は中退しています。家計を助けるためにパンや花を売っていたのは有名な話で、貧乏から努力して成功したというのもパッキャオが人気の理由の一つです。
こういうストーリーは国籍問わず好きなんですね。
14歳でマニラに出稼ぎに行き、本格的にボクシングを始めました。
ちなみに、パッキャオのお母さんのディオニシアさん、今では「マミーD」と呼ばれ、フィリピンの芸能界で大人気です。世界一強いパッキャオより強いというのが持ちネタです。
ボクサーとしてのパッキャオ
パッキャオはボクシングで史上2人目の6階級制覇王者(海外では8階級制覇)です。階級というと素人の僕には分かりにくかったのですが、調べてみると、ライトフライ級105 – 108ポンド(47.627 – 48.988kg)からスーパーウェルター級147 – 154ポンド(66.678 – 69.853kg)までの11階級で戦っていたそうです。そのうち6階級制覇です。
1995年、16歳でライトフライ級でデビューし、階級を上げていきました。48キロの人が68キロにするだけでも凄いですね。
1998年5月には後楽園ホールで試合をしています。これが唯一の日本人との試合でした。12月には、フライ級で初の王座を獲得しました。
その後、2001年スーパーバンタム級で2階級制覇、主戦場をアメリカに移したため、2006年ケソンでの試合がフィリピンでの最後の試合になっています。2008年3月スーパーフェザー級でアジア人として初の3階級制覇を達成しました。
ライト級王座を獲得し、4階級制覇を達成した2008年6月29日の試合は、フィリピンで視聴率63.8%を記録しています。
2009年ウェルター級で5階級制覇、2010年11月スーパーウェルター級で、史上2人目となる6階級制覇達成です。2010年5月には下院選挙に当選していたので、この時は既に政治家でした。
僕が初めてフィリピンで見たパッキャオの試合は、2014年4月12日のティモシー・ブラッドリー戦でした。パッキャオの試合の日は、フィリピンで犯罪がなくなる日と言われています。いつも渋滞している街から人や車が消え、テレビがない人たちがカレンデリアのテレビに群がったり、レストランの従業員がスマホで試合を見たりしていたのを覚えています。
2015年5月、フロイド・メイウェザーに敗北、2016年4月、ティモシー・ブラッドリー戦を引退試合とし、勝利しましたが、11月に復帰しその試合でも勝利しました。
その後も2017年、18年、19年と試合を続け、2020年はありませんでしたが、2021年にも試合を予定しています。
政治家としてのパッキャオ
初めて立候補したのは2007年でしたが、現職に大差で敗れています。敗因については、人々がまだパッキャオがボクサーでいることを望んだためだとされています。
パッキャオが初めて当選したのは2010年です。2013年にも再選し、2期連続でフィリピン議会の下院議員を務め、2016年からは上院議員を務めています。
上院議員、大統領ともに任期は6年、大統領の再選はできないので、早ければ2022年にもパッキャオが大統領になる可能性があります。
まだ気が早いかもしれませんが、多くのフィリピン人が、パッキャオはいずれ大統領になると思っています。フィリピン人にとってパッキャオは絶対的な英雄で、僕が思うに知名度100%どころか好感度100%くらいです。
2016年9月、10代の頃に麻薬を使用していたことを告白し、またドゥテルテ大統領の支持を表明しています。
フィリピンではドゥテルテの熱心な支持者として知られており、ドゥテルテが掲げる死刑制度復活や麻薬撲滅戦争、超法規的殺人についても支持しています。
また、低い議会出席日数には批判があり、2014年に至っては70議会中わずか4日でした。
まとめ
パッキャオの全盛期は2000年代くらいなんですね。僕は2014年に初めてフィリピンに来たので、その活躍はリアルタイムでは知りませんでした。ただ、2010年代も12、15、17年以外は毎年勝利しています。
今は政治家として活躍中です。いずれ大統領になるかもしれないので、完全にボクシングを引退した後が楽しみです。
参考:Wikipedia
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