オリンピックでのフィリピン代表選手の成績をご存知ですか?
(2021年の東京オリンピックの結果を受けて追記、編集しました)
東京オリンピック前までのメダルの総数は夏季と冬季合わせて10個と、1位のアメリカの2,827個、日本の497個と比べても大きく差を開けられています。
今回フィリピン代表は初の金メダルを含む合計4個のメダルを獲得しました。
ただ、フィリピンで有名なスポーツってあまり思い浮かびませんよね。野球もサッカーもアジア予選で日本に当たるとボロ負けします。
フィリピン代表はどんな競技でメダルを獲得しているのでしょうか?今回はフィリピン代表のオリンピックの成績をご紹介します。
オリンピックフィリピン代表のメダル
まずはオリンピックでフィリピン代表選手が獲得したメダルを見てみましょう。
1928 アムステルダム | 銅1 |
1932 ロサンゼルス | 銅3 |
1936 ベルリン | 銅1 |
1964 東京 | 銀1 |
1988 ソウル | 銅1 |
1992 バルセロナ | 銅1 |
1996 アトランタ | 銀1 |
2016 リオデジャネイロ | 銀1 |
2021 東京 | 金1銀2銅1 |
合計 | 金1銀5銅8 |
フィリピン代表が夏季オリンピックで獲得したメダルは合計14個、冬期は0個です。
東京オリンピックで初の金メダルを獲得しました
合計4個も過去最多です
オリンピックフィリピンの歴史
夏季オリンピックは1896年のアテネ、冬季オリンピックは1924年のシャモニー・モンブランから始まり、それぞれ第31回、第23回まで開催されています。(夏季は3回中止)
フィリピン代表は、夏季は1924年のパリから参加し(1人)、ボイコットした1980年のモスクワ以外は参加を続けてきました。冬季は1972年の札幌から参加していますが、2018年の平昌までの13回中、参加したのは5回、合計で7人だけです。
第1回の1896年は独立戦争の真っ只中で、まだスペインの植民地でした。参加できたのはほとんどヨーロッパの国で、まだ日本からヨーロッパに行くことも難しかった時代です。
ただ、スペインから独立しアメリカの植民地下にあったフィリピンは、東南アジアでは先進国だったので、1924年の参加、1928年のメダル獲得はどちらも東南アジアでは初でした。
ちなみに日本は1932年のロサンゼルスだけで18個のメダルを獲得しているので、今のフィリピン代表と比べても、ものすごく差があります。2016年には41個で記録を更新しました。
フィリピンの競技別メダル獲得数
次に、競技別のメダル獲得数を見てみましょう。
ボクシング | 銀4銅4 |
ウエイトリフティング | 金1銀1 |
陸上競技 | 銅2 |
競泳 | 銅2 |
4つの競技で14個のメダルを獲得しています。ボクシングが多いですね。パッキャオの影響から、フィリピンのスポーツと言えばボクシングのイメージもあります。日本もボクシングでのメダル獲得数は8個なので、数だけで見れば同じです。
東京オリンピックでは、日本、フィリピンともに3個ずつメダルを獲得しました。準決勝で日本代表とフィリピン代表が試合をして、フィリピンが銀、日本が銅になるといったこともありました。
オリンピックでメダルを獲得したフィリピン人選手
- 1928 競泳 銅 テオフィロ・イルデフォンソ(Teófilo Yldefonso)
- 1932 競泳 銅 テオフィロ・イルデフォンソ(Teófilo Yldefonso)
- 陸上競技 銅 シミオン・トリビオ (Simeon Toribio)
- ボクシング 銅 ホセ・ビヤヌエバ (José Villanueva)
- 1936 陸上競技 銅 ミゲル・ホワイト (Miguel White)
- 1964 ボクシング 銀 アンソニー・ビヤヌエバ (Anthony Villanueva)
- 1988 ボクシング 銅 レオポルド・セランテス (Leopoldo Serantes)
- 1992 ボクシング 銅 ローエル・ベラスコ (Roel Velasco)
- 1996 ボクシング 銀 マンスエト・ベラスコ (Mansueto Velasco)
- 2016 ウエイトリフティング 銀 ヒディリン・ディアス(Hidilyn Diaz)
- 2021 ウエイトリフティング 金 ヒディリン・ディアス(Hidilyn Diaz)
- ボクシング 銀 カルロ・パーラム(Carlo Paalam)
- ボクシング 銀 ネスティ・ペテシオ(Nesthy Petecio)
- ボクシング 銅 エウミル・マーシャル(Eumir Marcial)
1928年にメダルを獲得したテオフィロ・イルデフォンソはフィリピン人初のオリンピックメダリストです。第二次世界大戦中は日本軍と戦い、バターン死の行進を生き残りました。
1992年と1996年にメダルを獲得したローエル・ベラスコとマンスエト・ベラスコは兄弟です。弟のマンスエトは引退後、コメディアンとしてテレビに出演しています。
2016年にメダルを獲得したヒディリン・ディアスはフィリピン人初の女性メダリストです。オリンピックには2008年、当時17歳の時から参加していました。2013年からはフィリピン空軍にも所属しています。
2021年、ヒディリン・ディアスはフィリピン初の金メダルを獲得しました。
報奨金や家などの報償品、合わせて1億円を超えると報道されていましたね。
将来のオリンピックフィリピン代表
メダル獲得数だけ見ても圧倒的に先進国が多いです。身体能力に差があるわけではなく、むしろ日本人よりフィリピン人の方が運動はできると思います。
それなのに野球にしても、サッカーにしても、フィリピン代表は日本代表に全く歯がたちません。
メダルの差は資金の差です。残念ながらフィリピンでは、子どもの頃から充実した施設や道具を使ってトレーニングすることは難しいです。最近になって日本と提携したり、外国のスポンサーを付け始めたところなので、将来的により多くのメダルを獲得することを期待します。
将来のメダルに向けて、こんなニュースもありました。
2019年、体操の世界選手権でフィリピンのカルロス・ユーロが金メダルを獲得しました。ユーロは奨学金制度で帝京大学に通いながら、日本人コーチの指導を受けています。2020年の東京オリンピックにも出場予定でした。フィリピン初の金メダル、コーチは日本人 世界体操
2021年の東京オリンピックでは過去最高の4個のメダルを獲得しました。このまま発展していけば、先進国との差も縮まっていくでしょう。
まとめ
東京オリンピックではフィリピン代表か日本代表か、どちらを応援するか迷いました。初の金メダルは自分のことのように嬉しかったです。
フィリピンは今まさに経済成長しているところなので、数年後のフィリピン代表のメダルラッシュを期待します。
参考:List of Olympic medalists for the Philippines-Wikipedia、近代オリンピックでの国・地域別メダル総獲得数一覧-Wikipedia
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